なぜ言語化することが重要なのか

社内の勉強会で「仕事において言語化することの大切さ」についての話を聞いてから、自分でもよく考えるようになった。

コーディングの参考にするためにGoogleの「Firebase」のサイトを観察したことがあるが、そのときに学んだことをきちんとメモしていたおかげで実際の案件で活かすことができた。そのときに「なんとなくどんな感じになっているか」をざっと見ただけでは思い出すことは難しかったかもしれない。

「きちんと言葉にする」といったアウトプットを行うことで脳に情報を定着させやすくなるという話もあるが、そのためには対象をよく理解することが必要だろう。「理解しているから言葉にできる」のか、「意識して言葉にしようとするから理解できる」のか、どちらもあるだろうが、理解と言語化は深い関係があると思う。

事象を言語化しようとすることで、その中にあるルールや法則を意識するようになる。そうして、そのルールをうまく言語化することができたら別のところで再利用したり、機械的にできる作業はプログラムで自動化したりできるようになる。

たとえば、私たちが業務で使用している品質チェックの表には「リンク切れがないこと」、「バリデータのエラーがないこと」といったルールが列挙されており、webサイトの「あるべき姿」を言語化したものと考えることができる。このようにルールが明示されていると機械的にチェックできる。

「崩れていないことを確認する」といった定量的に捉えられない指標だと難しいが、「崩れている」という状態をもっと詳細に定義することができれば自動化することも可能かもしれない。

もし「SEO的にもパフォーマンス的にも優れたページであることを確認する」といった漠然とした項目だったら、担当する人によって具体的な確認項目が違ったり、そもそも機械的なチェックができなくなったりするだろう。この差だけでもきちんと言葉にすることの重要性は明らかだ。

また、別の案件で行った表記確認では、表記のゆれがいくつか見つかった。文章を書くときに明確なルールがあれば、表記ゆれに気づくことができ、確認時の負担を軽減できるだろう。

ほぼ日」で有名な糸井重里さんの文章を読んでいるときに、ひらがなが多用されていることに気が付き、それから閉じ開きに意識的になったという経験がある。

そのときから、「いま」や「たとえば」など、ひらがなのほうがしっくりくる言葉をメモしており、それに沿って文章を書けば、ある程度は表記がゆれずに「自分っぽい」ものになる。もしうっかり「例えば」などと書いてしまっても、そのメモにある言葉を思い出して置換したり、「AをBに置き換える」というようにプログラムで自動的に置換したりできる。

なにかを作るときには、一貫したルールを考えて言語化し、なにかを学ぶときには、対象に内在するルールを言語化することで知識の再利用性が高まり、ものによっては自動化ができるのだと思う。これからも言語化については取り組んでいきたい。