マーケティングの世界において、顧客の頭の中の「想起」は、消費行動を支配する重要な概念と位置付けられています。ブランド戦略論の大家であるデイビッド・A・アーカー氏は、著書『ブランド・エクイティ戦略』(1991年)の中で、Top of Mind(トップ・オブ・マインド=第一想起)を獲得していることは「まさしく真の意味で、一人の心の中で、他のブランドより優ってる」と表現しています。
また、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなど様々な企業のマーケティングを手掛けた実績がある森岡毅氏は、著書『確率思考の戦略論』(2016年)の中でEvoked Set(エボークト・セット=想起集合)という概念を持ち出し、「カテゴリー購買時にはその人のエボークト・セットの中からランダムに確率に沿ってブランドを選んでいる」と購買のカラクリを説明しています。
このような想起の概念は、企業の採用戦略にそのまま当てはまるわけではありません。国内の就活/転職市場においては、求人情報は媒体や紹介会社が握っていることが多く、そこでの企業認知が採用戦略全体に大きな影響を与えていることが多いからです。
一方で、求職者が「転職しよう」「次のキャリアを考えよう」と思い立った瞬間に思い出される企業が、採用市場で有利なポジションに立つのは確かです。多くの企業はそもそも知られていない、だから人が集まらない、という大きな問題を抱えています。しかしながら、「想起される企業」にはその悩みがありません。
想起されやすいことは、採用の様々な局面で自社を有利にします。転職サイトで企業名を見ただけで、「ああ、あの会社か」と思い出されます。それにより、媒体の紹介ページの閲覧率、スカウトメールの返答率が変わります。また、他社に関心を持った時に芋づる式に自社を思い出してもらう、ということも起こります。求職者に知られていない企業が求人広告を乱れ打ちしている中、想起される企業は、費用もかけず、ショートカットして求職者との関係を構築できます。
このように、採用においても重要な役割を果たす想起の概念について、この記事では詳しく解説していきましょう。
※本記事は、採用支援サービスWHOMのアドベントカレンダーの2024年12月19日分です。
マーケティングにおける想起とは、あるカテゴリーにおいて、あるブランド・企業・商品名が無意識に思い浮かぶことを指します。
代表的な想起に「純粋想起」と「助成想起」があります。前者は、「スポーツブランドといえば?」と質問した時に補助なしで思い出せる想起、後者は「この中で知っているスポーツブランドは?」とリストを提示した時に、そのリストから思い出される想起です。
このうち、純粋想起で最初に出てくるブランドは第一想起(トップ・オブ・マインド)と呼ばれ、消費者の長期記憶に深く刻み込まれているブランドだと解釈できます。
これを採用に置き換えると、求職者の意向が顕在化した時、自発的に真っ先に転職候補として思い浮かぶ企業が「採用における第一想起」といえます。これは、日常の生活や仕事、メディア、SNS、専門コミュニティでの情報接触を通じて、長期的に蓄積された記憶の産物です。第一想起を得ていると、転職媒体の検索結果や人材紹介の手引きに頼らず、優先権を確保している状態を作ることができます。
例えば、ITエンジニアとして働くことを考えた人は、既に名前を知っていて、ある程度の事業内容が想像できる、有名なIT企業や大手SIerを思い浮かべます。中堅のITベンチャーや知名度が低いシステム開発会社は、まずこの段階で求職者の頭の中に出てこないので、媒体や紹介会社などの接点を持たないと、彼らとは永遠に出会うことができません。
想起集合とは、第一想起を含む、純粋想起で出てくる複数の候補です。候補数はカテゴリにより変わりますが、通常は2から5の範囲に収まります。生活の中での接点が少ないカテゴリの場合、3つも出れば良い方でしょう。想起のメカニズムをマーケティングや採用に活かす場合、最低条件は想起集合入り、目指すのは第一想起、ということになります。
想起のことを考える上で、記憶のメカニズムを理解しておくといいでしょう。
記憶には、3種類あると言われています。
五感が受けた刺激を数秒だけ記憶するのを「感覚記憶」、数分間保持されるがその後忘れてしまうのを「短期記憶」、そして時には数十年以上記憶されるのを「長期記憶」と呼びます。マーケティングや採用における想起では当然、長期記憶に残ることを目指します。その長期記憶は、さらに「宣言記憶」と「手続き記憶」に分かれます。
手続き記憶とは「自転車の乗り方」「ECサイトの使い方」のようなものです。もう一つの宣言記憶はさらに、「意味記憶」と「エピソード記憶」に分かれます。
意味記憶とは事実情報、言葉の意味や知識、概念に関する記憶です。例えば「日本には360万の企業が存在する」といった知識や事実、「トヨタは自動車の会社である」と社名と業態を結びつける類の記憶は、意味記憶といえます。
エピソード記憶とは、経験に関する記憶で、出来事の内容に加えて、様々な付随情報(時間・空間的文脈、自己の身体的・心理的状態など)と共に保持される記憶です。
例えば、一般的には知られていないが、「いつも有益な情報発信をしてて、社内でもあの会社の話題になることが多く、就職するとスキルアップできる良い企業なのだろう」と記憶されている企業は、エピソード記憶化されているといえます。
採用に有利な想起を促すためには、会社の業態や事業を端的に記憶する意味記憶と、複雑にイメージを重ねていくことで記憶への定着を図るエピソード記憶の、両方に対するアプローチが必要です。
2021年7月にYOUTRUSTが実施したインターネット調査結果によれば、転職顕在層は9.5%程度であるのに対して、転職潜在層は61.1%程度という結果が出ています。
つまり「具体的な活動はしていないが、転職しようかは悩んでいる」「今は環境を変えようとは思わないが、将来機会があれば転職したい」といった転職潜在層が、転職顕在層の6倍存在するわけです。
多くの企業が顕在層向けに転職サイトや人材紹介会社での求人露出を強化し、短期的な応募獲得に腐心していますが、顕在層は誰もが手を出す「取り合い市場」であり、そこでは待遇勝負や知名度勝負になりがちです。結果、採用コストは右肩上がりとなり、自社に合わない応募者と多く接触するケースも多発します。この「顕在層争奪戦」は、お金・時間・人といったリソースに余裕がある企業、つまりは資本力と知名度に勝る大企業が圧倒的に有利です。
一方で、潜在層に対して、あらかじめ自社名を刻み込んでおくことができれば、常に有名企業の後塵を拝する構図が変化します。潜在層が「そろそろ転職を考えようかな」と思い立ったその瞬間に、「そういえば、あの会社…」と脳裏に浮かぶ存在になれば、少なくともその求職者に対しては、一般的に知名度がある競合企業と同じかそれ以上の有利な立場を作ることができます。
では、潜在層を育てて第一想起を勝ち取るためには、企業は何をすべきなのでしょうか。ポイントは、5つほどあげられます。
自社が求める属性の求職者が、日々の業務で必要とする最新知識やノウハウ」を発信すると、潜在層であっても接点を持つことができるようになります。たとえばHRテック企業であれば、HRテクノロジーの最新動向、導入成功事例、業界分析レポート、専門家のインタビューなどを、ブログやホワイトペーパーとして提供すると、「有益なナレッジを蓄積している企業」「ここで働くと自分も成長できそう」という好意的な長期記憶が形成される可能性が高まります。
良質なコンテンツをただ作って公開しているだけでは、想定している求職者までは届かない可能性があります。それらを効果的に流通させるSNS、専門コミュニティ、メールマガジン、PRメディア等との連携も、合わせて考える必要があります。XやFacebookがパッと思いつくチャネルですが、それらは手段の一つに過ぎません。特に求める求職者が集まっているチャネルを見極める必要があります。外資系の人材であればFacebookよりもLinkedInの方が良いかもしれません。エンジニアであれば、自社のオウンドメディアよりも、QiitaやZennでの発信の方が有効でしょう。
単発的な発信だけでは、仮に接点を持って記憶されても短期記憶で終わってしまい、想起には繋がりません。半年、1年、2年と発信を続けることで、何度も接点を持ち、その周辺での体験(同僚との雑談など)も含めてエピソード記憶化し、長期記憶として定着します。この一貫性と継続性のカギになるのが、発信を続けるための組織体制です。自然発生的には生まれにくいものであり、リーダーを決めて、公開基準を定めることで、一貫性や継続性はより強固なものになります。
SNSの発信を増やすと、単純接触効果で記憶される人の数は増えますが、膨大な情報に囲まれた現在、単に発信量を増やすだけでは、好意的な記憶としては残らないばかりか、2度目以降の接触で無視されてしまう可能性もあります。また、企業側の自画自賛、都合よく美化されたコンテンツでは、「働きたい会社」という想起に繋げるのは難しいでしょう。「企業の情報を見てもらう」ではなく「求職者の仕事や日常に参加する」という発想で、求職者視点でコンテンツを考える必要があります。
接点を持っても、「何度見ても覚えにくい」「何をしてる何の会社か分からない」だと、採用のための想起にはなりません。マーケティングサイエンスの第一人者、バイロン・シャープ氏の『ブランディングの科学』には、「メンタルアベイラビリティ」という概念が出てきます。これはようするに「思い出しやすさ」のことで、思い出しやすいブランド名やデザインがあるほどに、顧客の購買やロイヤルティに影響を与えるとされています。採用に関して言えば、このために社名やCIを変えるというのは現実的ではありませんが、求職者に認識されやすいタグライン(端的な自己紹介文)やメッセージなどを一貫させて、「○○の会社だ」と社名と事業内容を思い出しやすくさせる工夫は、必要と考えられます。
想起は、中途採用で同業者や隣接領域で働く人物を対象とする場合、特に効果を発揮します。一方で学生がターゲットとなる新卒採用の場合、日常生活にまつわるtoC型の商材を持っている企業以外は、想起の活用はやや難しいでしょう。とはいえ、完全に無関係でもなく、何もできないわけでもありません。
例えば、新卒学生は、就職活動解禁前から、大学生活、SNS、インターンシップ、合同説明会、先輩学生の口コミなど、さまざまな接点で企業名に触れています。ここで「すでに聞いたことがある会社」や「なんとなく評判が良いらしい会社」は、最初の情報収集フェーズで有利なポジションを獲得します。
2022年のウォンテッドリー株式会社『就職活動と長期インターンシップ』における調査では、就職活動の際に重視するポイントとして、「知名度」は7%との結果が出ています。その意味では「最初から知られていること≒想起されること」の重要性は低いと考えられます。一方で2023年のノーテッド株式会社における『就職活動における企業知名度と採用動画の影響に関する実態調査』では、合同説明会等のイベントブースに立ち寄るきっかけとして、「知っている社名だった」が最多で34.4%となり、企業認知度の影響の大きさが示されています。
これらを総括すると、新卒採用において、純粋想起の必要性はさほどでもないが、何かのキッカケで思い出される助成想起が起こる状態を作っていくと、各接点で有利なポジションを作ることができる、といえます。
想起を活用した採用の成功事例として、手前味噌ながら、私たちのケースをご紹介しましょう。
ベイジは自社採用サイトからの自己応募が主体で、48名の社員中、86%が転職エージェント経由ではなく採用サイトからの自然応募となっています。そのうち70%近くが「転職活動を始める以前からベイジを知っていた」と回答しています。
ベイジのアプローチは間接的で、直接「採用したい」というメッセージを強く押し出すことは稀です。
まず、採用ターゲットであるWebクリエイターやコンサルタントが日々の業務で役立つ知見を、オウンドメディアやSNSで発信し続けています。さらに、社内カルチャーを伝える「ベイジの日報」や、社員個々人のSNS発信によって、会社の人間味や価値観、思想を常時発信しています。このような年間の発信は100以上に上ります。さらに年間数十本のメディア取材やイベント登壇なども発生します。これらの発信は、単なるPVだけでなく、Slackなどのダークソーシャルや、日常会話における口コミも誘発し、潜在層の生活や体験に浸透していきます。
狙っているのは、転職意向が顕在化した時の第一想起です。「あの会社、なんか良質な記事をいつも出しているな」「あそこの社員は考え方が面白い」「社内Slackで、しばしばベイジの記事が共有されている」という、断片的かつ自然発生的な好印象の蓄積が、潜在層の記憶に深く根をおろしている状態を作り、転職顕在化のタイミングで、「そういえばベイジ」という第一想起を生じさせます。
ちなみに当社のオウンドメディアの中で、採用文脈での企業の認知・記憶・想起にもっとも影響を与えているのは、この記事です。
これは提案書の書き方を解説したもので、いわゆる「採用コンテンツ」では全くありません。しかし、潜在層と接点を模し、長期記憶化し、顕在化した時に想起されるのは、直接的な採用コンテンツではなく、日常生活の中で重宝するお役立ちコンテンツの類になるというのは、典型的な現象です。
採用活動において、想起は「入口」に過ぎません。その後には就職活動/転職活動/選考プロセスが走り、求職者は、経営理念やカルチャー、具体的な働き方、成長環境、評価制度、福利厚生など、「ここならば自分のキャリアを伸ばせる」と直感できる情報に触れていきます。この時に、想起した時の企業イメージとネガティブな方向に乖離があると、せっかく想起で接点を持っても、その後の関係性作りに失敗してしまいます。
私たちの会社でも、想起された後の工程を意識して、情報発信の内容を決めています。「実態はどうなのだろう?」と候補者がさらに深堀りする段階で、信頼できる情報源を用意し、最終的な応募意欲へとつなげています。想起の後の工程で接触するであろう採用サイトのコンテンツを充実させ、エントリーした求職者には「私たちの履歴書」を送付しています。
また、情報発信段階で、自社を過度に彩らないよう、演出的な表現や、誇大なメッセージを使うことを控え、できるだけありのまま、素の姿を発信するように努めています。ある意味、世間でよく言われる「キラキラ広報」とは大局的な姿勢を取っていると言えます。
ここで紹介したのは、いわゆる「採用広報」「採用ブランディング」と呼ばれるものです。一方で潜在層向けに想起を取りに行くためのコンテンツは、いわゆる採用広報、採用ブランディングの範疇を超えているものが多いです。鋭い方であれば、「これって顧客獲得のマーケティングと同じじゃないの?」と思うかもしれませんが、その通りです。
採用において想起を促すための活動は、結局は、顧客獲得のマーケティング、あるいはステークホルダー全般をターゲットとするコーポレートブランディングと、統合・収斂されていきます。つまり、採用広報や採用ブランディングを担当するからには、採用担当や人事部といった自部門に閉じず、広報やブランドマネジメント部、あるいは各事業部のマーケティング組織などとも連携しながら、部署目線ではなく、企業目線で発想していく必要があるということです。
このような活動は、すべての企業が容易にできることではありません。部署を超えて連携したうえで、継続的で有益な情報発信は、組織内に「書ける人・発信できる人」が存在しなければ難しく、さらに経営陣が人材獲得のためのブランディングに理解を示し、発信活動を奨励する必要があります。組織風土やリーダーシップ、コンテンツ制作、SNS運用など、複合的なスキルが求められます。
しかしながら、他の企業がすぐできることではないからこそ、やりきった企業には、他社が真似できない参入障壁が生まれるともいえます。また、大手企業ほど組織の壁が大きくなりやすく、小さな会社ほど制約が少なく、情報発信と想起の力を活用しやすい、という側面もあります。
このような活動を、自社ですべて満たす必要はありません。外部ライターやコンテンツマーケティングの専門会社と協業し、経営者や社員の声を引き出し、コンテンツ化する体制を作ることは可能です。「経営者は内に熱い思いを抱えているが、うまく言語化できない」という企業なら、プロの編集者がその思いを丁寧にインタビューし、コンテンツ化することもできます。
会社のことを外部に知ってもらう活動に対するリーダーの強いコミットメントと、協力会社とのパートナーシップがあれば、リソースが乏しい中小企業であっても、「第一想起される企業」に近づくことはできるはずです。
採用に精通したコンサルタントたちがお客さまの採用サイトの問題を解決します