誰かに話を聞いてもらって考えを整理する「壁打ち」という言葉は、ビジネスの現場でかなり浸透している。要するに相談なわけだが、それをテニスの壁打ちに置き換えたこのメタファーは、一種の言葉の発明だと思う。
相談がカジュアルな言葉に変わることで、「中途半端な準備で話しかけてはいけない」「気軽に相手の時間を奪っては申し訳ない」と委縮する気持ちが和らぐ。受ける側も、問題を解決する正解を回答しないといけないというプレッシャーがなくなる。相談という行為の心理的ハードルが下がる。そして組織の中で気軽に相談できる雰囲気が生まれる。
しかしながら、名前がカジュアルになることの弊害もある。壁打ちが乱造され、質の低い壁打ちが増える。なぜなら、実は有意義な壁打ちは難しいからである。
まず、壁打ちを依頼される側には、「打ち返す能力」が求められる。身近に話しかけられる相手が、必ずしも良い「壁」とは限らない。身近な人に気軽に壁打ちをお願いし、お互いに実り少ない時間を過ごし、本来のコア業務に費やす時間が削られる。そんなことが起き始める。
一方で、打ち返す能力と同じかそれ以上に重要なのは、壁打ちを依頼する側の「壁打ちする能力」である。特に、依頼内容への理解度や解像度が高くないと、有意義な壁打ちになりにくい。
数字に置き換えると、壁打ちを依頼する側はそのテーマに対して70~80くらいまで理解しておきたい。専門的な分野であれば、壁打ちに応じる側も60~70くらいは理解していてほしい。そうすると有意義な壁打ちが成立する。
ところが、壁打ちというカジュアルな名前に変わると、熟考もせずに理解度10くらいで壁打ちを持ちかけ、応じる側も理解度20かそれ以下で打ち返すという、質の低い壁打ちが横行するようになる。
また、使ってる本人に悪気がないのは承知だが、壁打ちという言葉には、カジュアルに表現することで断りにくくする、という嫌な側面もある。
気軽に相談してくれてるのだから応えないと。正解を求めてるわけじゃないのだから付き合ってあげないと。自分のことばかり考えて非協力的な人と思われたくない。カジュアル風だからこそ、そんな気持ちが過りやすい。気軽さが前面に出てるが故に、「壁打ちの前に自分で考えて」と断りにくくなる。
本来は一人で考えればいいことを、壁打ちと称してもう一人を巻き込む行為が組織全体で広まるのは、当然ながら組織にとって好ましくない。一つには、低品質な壁打ちで生産的でない時間が増える。それ以上に深刻なのが、自分で考えずにすぐ相談することで、ゼロイチで考える思考の胆力や、自分の頭でアイデアを生み出す着想力が養われないことである。中長期的な能力開発に影響を与え、これが組織の力に影響する。
まずは自力で80まで理解・熟考する。その上でどうしても他人がいないと突破できないことについて、壁打ちをお願いする。これが本来期待している壁打ちである。
さらに今は、「80まで理解・熟考する」ための強力なツールも存在する。ChatGPTなどの生成AIだ。
生成AIは役割を与えることもできる。例えば、新しいマーケティングプランの壁打ちをするなら、ChatGPTに「あなたは優秀なマーケティングコンサルタントです」と役割を与えてやり取りをすることができる。壁打ちに不慣れな人と1時間の壁打ちするより、ChatGPTと同様の時間の壁打ちをする方が遥かに有意義になることの方が多いのではないだろうか。
このように、まずは自分一人でできることをやり切る。そのうえでポイントを絞って、他者に意見を聞く。そうすると、本来求めたい質の高い壁打ちに近づいていく。
もちろん、どんな組織も「相談しにくい雰囲気」を作りたいわけではない。聴けばすぐに解決することでずっと悩んだり迷ったりしてほしいわけでもない。本当に自己解決できないことや深刻なトラブルならすぐ相談してほしいというのは、まともなリーダーやマネージャーであれば誰しも思う。
そういう前提があったうえで、すぐ人に頼るのが常に最適な解決策になるわけではない。自分で考え抜くことで鍛えられる能力もある。今は1人で考えることをサポートする強力なツールも存在する。
壁打ちという言葉を使うな、とまでは思わない。おそらく私も使うことはあるだろう。
しかしながら、壁打ちを持ちかける際、それは本当に1人ではできない壁打ちなのか。あえて他者の時間をいただくのであれば、それに見合った有意義な壁打ちにするにはどうすればいいか。これらをしっかり考えた上で、「壁打ちしましょう」と働きかけるべきだと、心に留めておきたい。