仕事には必ず「批判的視点」が求められる

「批判」という言葉には、後ろ向きでネガティブな印象がある。

確かに、人の欠点ばかり指摘する、人や会社を名指ししてSNS上で批判する、周りの不満ばかり漏らす、といったタイプの批判は、建設的とはいえず、ときに人間性が疑われることもある。

しかし、「公然と人を批判すること」と「批判的に物事を見ること」を同じ忌むべき行為ととらえ、なるべくそうしない方がいいと思っていたら、それは大きな間違いである。

ビジネスの現場では、批判的な視点を持てるかどうかは、成功の非常に重要なファクターとなる。クリエイターのような仕事になると、その重要性はさらに上がるだろう。

なぜか?

学校の勉強のように、正解が一つしかないものを追い求める時は、批判的な視点はそれほど必要とされない。なぜなら、素直に学び、確定している正解への道筋を紐解いていけばいいからである。答えは一つしかなく、その正解はだれかが決めてくれている。それを疑う必要はない。

一方、仕事には正解がない。何が正解かわからないし、何が受け入れられるか分からない。自分が出した結論を「唯一の正解」と考えるのは危険で、自分と相反する立場の意見も複合的に考え、様々な見解を自分の中で戦わせたうえで、選択肢も考え方も色々あるが、自分はこれがいいと思う、という結論に至らないといけない。

ここで必要なのが、批判的な視点である。

もし、自分が出した結論に対して「その結論に反対の意見を唱える人がいた場合、どういうことを理由にあげるだろうか?」と、自らに質問してみよう。すぐにその答えが出なかったら、結局は自分の視点の見解しか考えておらず、物事を批判的に見ているとは言い難い。

批判的に見ることができないと、異なる立場の見解が出てきても対処できない。自分の出した結論の至らなさにも気が付かない。批判的な視点がないから、考えが平坦で、浅くなる。

何かを変えたり、課題を解決したりする仕事というのは、いつも批判からスタートする。既存のやり方、クライアントの要望、上司のアイデア、自分が感じた第一印象、これらすべてを批判的に見るから、課題の本質が見えてくるし、真に迫る解決策を発案することができるようになる。

自分の頭の中で批判を繰り返し、それぞれに自分なりの反論を考え、その反論をまとめ上げ、メリット・デメリットを天秤にかけて、最終的な結論に至る。こういった経緯を経たアイデアは、ちょっとやそっとでビクともしなくなるし、意見がひっくり返されるようなことも少なくなる。発言や説明に深みと説得力が生まれる。

こういった批判的な視点を育てるには、日頃から物事を批判的に見る癖を持つしかない。

クライアントの言うことも、偉い人の言うことも、上司の言うことも、優しい人の言うことも、好きな人の言うことも、身近な人の言うことも、鵜呑みにするのではなく、批判的な視点からその妥当性を評価する。

その人の人格を批判してしまうのでは、と恐れる必要はない。その人の言ってること、アイデア、見解に対する批判だけをすればいいし、相手に敬意を示した伝え方をすれば、きちんとした人間関係のある状況で大きなトラブルになることは少ない。

批判的な視点がない、俗にいう「素直ないい人」は、ある程度のキャリアで足踏みする傾向すらある。

批判的な視点がないから、クライアントの矛盾に鋭く突っ込むことができず、言われるがままにしかできない。批判的な視点がないから、部下の弱点に気付くことができず、部下を良い方向に育てることができない。批判的な視点がないから、上司の意見のほころびを見極めることができず、イエスマンになるしかない。

批判をしない姿勢はやがて、自らの頭で考えることを避けるようになり、楽勝パターンで仕事をすることを好むようになり、どんどん保守的になっていく。

ちなみにこれは、他人の粗探しばかりする人を肯定しているわけではない。単に口が悪いだけのネガティブ思考の人と、十分な批判的な視点の素養がある人とは、必ずしもイコールではない。なぜなら、仕事に求められる批判的な視点では、その矛先を自分にも向ける必要があるからである。

他人は批判するが、自分は批判しない、自分はいつも正しいことを主張し、他人が悪いと批判をする、ということでは、多角的な批判の視点を持つことはできない。単に、感情に流されてストレス解消のために批判をしているだけなので、批判に深みも生まれない。

ここで言いたいのは、欠点の粗探しの推奨ではない。感情に流されず、自分の意見に対する批判的な側面を冷静に分析するような、そういう「有意義な批判的視点」の重要性である。