先日読んでいたブログに、仕事のできる人の条件の一つとして「共感力」というのがあった。「他人の気持ちが分かる力」らしい。
実際問題として、人の気持ちを完全に読むのは非常に難しい。人によって感性は違うし、相性もある。人の気持ちが読める、人の性格が把握できていると思っても、それは単なる思い込みだったりもする。しかし一方で、気持ちを察するのがうまい(ように見える)人とうまくない人は確かに存在する。これは天性の才能の問題なのだろうか。
私が思うに、その差の一つとなっているのは、人の心が正確に読めているかどうかではなく、「一番厳しい人」に照準を合わせて動いているか、ということなのではないだろうか。
自分では思いもよらぬことで悪く思われていたり、不満を持っていることに気が付かなかったり、気が利かないと人から言われてしまったりする人は、人の気持ちを察する能力が不足しているのではなく、ようするに「厳しい人設定」が甘いのではないだろうか。
これくらいやっておけば大丈夫。これは大したことないから後回しでもいいや。このくらい説明しておけば分かるだろう。
もちろん、仕事に求めるレベル感や受け取り方は人それぞれなので、甘い対応でうまく行くこともあるだろう。しかし、要求レベルが高い人、細かく確認することを好む人、厳格さを重んじるような人に対しては、そうはいかなくなる。いつもと同じことをしてても、突然クレームを言われてしまったり、不満をぶつけられたりしてしまうこともあるだろう。
「人の気持ちを察しなさい」「空気を読みなさい」などといったことはよく言われるが、それは超能力に近い。経験や価値観がまったく違う人の心の内を100%読み切るなど不可能だ。気持ちに合わせて厳格さを調整するというのもなかなか難しい。
しかし、であるならば、いつも要求レベルが最も厳しい人に照準を合わせ、どんなに厳しい人でも満足できる基準で行動しておけばいいのではないだろうか。
しかもそれは、当たり前に想像できる範囲のことでいい。メールが来たらすぐに返す。急がなくてもいいですよ、と言われてもなる早で返す。催促される前に行動してしまう。とにかく分かりやすさに配慮したメール内容にする。ニュアンスが伝わらなそうだったら電話でフォローする。口うるさい人を想定して隅から隅まで何度も確認する。
人の気持ちを読む、空気を読む、などということが難しいと感じるのなら、少なくとも仕事においては、それはあまり考えなくていい。できないものはできないし、人の気持ちなんて結局のところはよく分からない。
やるべきは、要求レベルがもっとも厳しい人を想定した丁寧な行動をいつも意識し、積み重ねることである。そうすればおのずと「気が利かない」などと言われることは減っていくのではないだろうか。