デザイナーはなぜ「普通」を知る必要があるのか?

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代表取締役 枌谷 力

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バイアスや意思決定に関する書籍を読むと、統計学や確率、平均の話になることが多い。

バイアスのない意思決定というのは、統計学的にもっとも成功確率の高い選択をする、ということでもある。あくまで確率の話なので、短期的な結果だけみればその選択によって失敗することもあるだろう。しかし長い目で見た時には、平均への回帰が起こり、総じて成功確率が高まる。そういう判断の仕方が常時できた方が良い、という考えがその根底にある。

実はこの話は「普通を見極める」という話に繋がってくる。「普通」とは、曖昧で、時に都合よく使われる言葉である。何が「普通」かは人それぞれだ、という結論になることも多い。しかし、正解が分からない仕事をする上ではこの「普通を見極める力」は不可欠である。

「普通を見極める力」とは、「多数派を見極める力」「平均値を見極める力」「中央値(ボリュームゾーン)を見極める力」「最大値を見極める力」と、文脈によって変わる。だがいずれにしろ、この「普通」が見えているのと見えていないのとでは、判断の質も成功率も大きく変わる。

デザイナーには「普通の感性が必要」とよく言われる。いや、よく言われるかどうかは実際のところは分からないのだが、私はよく使う。理由は同じである。「普通」が分からなければ、「普通に合わせる」のか「普通から20%飛び出す」のかの見当がつかず、結局、そのデザインがどうなるのが良いのか分からなくなるからである。

人の感性というのは、個性と直結するものであり、必ずしも多数派や平均が人の心を動かすわけではない。ただ、仕事の中で何かを意思決定するときには、何が多数派で、何が少数派かを理解したうえで、どの方向に振るかを意図的に行わなければならない。これが意図的にできるかどうかが、仕事の質や評価を左右する。

例えば、ガジェットやアプリが大好きで複雑なデジタル機器を巧みに使いこなせる人より、ガジェットやアプリの操作が苦手でうまく使いこなせない人の方が、良いデザインを生み出す可能性が高い。なぜなら後者の方が「多数派」で「普通」だからだ。「普通」を肌感覚で理解していることは、デザインする上での強みになる。

一方で感性が鋭過ぎる人、デザインが大好きでいつも自分が好むデザインで身の回りを固めないと気が済まない人は、デザインにバイアスがかかる可能性が高まる。もちろんこれは極端な言説で、自己と他者を切り分けて多様に考えられる人なら、ガジェット好きでもデザインマニアでも優秀なデザイナーになれるだろうが。

「普通」が見えない人は、「自分が思う=普通」「自分が好き=普通」というように論理のすり替えを行う。そのすり替えにより、元々の目的もすり替わり、じっくり考えたはずの結論が的外れなものになり、結果そのアイデアが狙いたいはずの成果が得られない。

デザイナーたちが自分たちの狭い価値観の中で「これが普通だ」と考えたことが、世の中とは大きくズレていて、そのことを見抜けないクライアントと共犯関係になると、本人たちの満足度や達成感とは裏腹に、ユーザには使いにくい、目標とするビジネス的な指標がまったく達成できない独りよがりのデザインとなってしまう。

「私のセンス」という、一人称の一点張りではダメということだ。「私ははこう思うが、普通の人はこうなんじゃないか」と、自分の好みと世の中を切り離し、何が多数派か、何が平均か、何が普通かといった問答を繰り返し、自分の感性にも疑問のメスを入れ、普通を見極めようとし続けなければならない。

デジタルの時代になり、「普通」「多数派」「平均値」「中央値」「最大値」を数値化して知る手段も増えた。様々な分析ツールはその一例だ。ツールを用い、主観ではなく、数字の裏を取ることは、クリエイターであっても必須スキルになっている。

しかしこのようなツールを使っても、「普通」「多数派」「平均」「中央」が見えなくなることがある。自分に都合のいい数字しか見ない。因果関係がない数字に因果関係があると判断してしまう。数字を自己肯定のために都合よく解釈する。

「普通」を追求することに無自覚で、自分の考えに疑問を持たない人は、このような便利なツールを用いても偏った判断をしてしまう。AIが進化してあらゆる業務が効率化されても、AIに対して都合のいい情報だけを学習させたり、AIが導き出した結果を都合よく解釈していては、同様の問題は解決されないだろう。

定量化できない「普通」もまだまだ多い。基準が変われば「普通」の定義も変わる。だから「普通」の判断は、今のところ多くの場合人の判断に委ねられている。「普通」をできるだけ偏りを少なく類推するためには、「自分の普通はもしかしたら間違っているのかも?」と、自らの発想に常に疑問を呈し続けることが必要となる。

特に大きな会社、できあがっている組織、人材の流動性が低い業界、ルーチン色が強い職種に就くと、偏った視点の体験しかできず、気づかないうちに「自分=普通」「自分の環境=世の中の標準」という感覚になり、バイアスが大きくかかった判断を自然にしてしまう。それを避ける方法は色々考えられる。例えば以下のようなことも、普通を見極める力を養うのに、一定の効果があるだろう。

  • 自分が好む世界、偏った人間関係、似たような感性の中に閉じこもって生活や仕事をしない
  • 別の業界や職種、立場の人と積極的に交わり、表面的ではなく、本音の話を聴く
  • 仕事で接する違う職種、違う立場の人にも関心を持ち、自分とどう違うかよく観察する
  • 仕事以外の私的な体験も重視し、深く関わり、そこからも積極的に学んでいく
  • 日ごろから様々な角度の書籍や情報にあたり、一面ではない様々な見方、価値観を知る
  • 自分とは逆の考え方の人や本などに触れ、自分の普通が実は普通でないことを実感する

こういった様々な価値基準や視点を身に付けるほど、バイアスの罠に囚われない、「普通」を知ったうえでの意思決定ができるようになるのではないだろうか。

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