ライティングにおいてターゲットを明確にすることは重要だ。しかし、それが極端になると、自己満足なコンテンツになりがちだということもまた真実である。ある程度の想定読者を意識することは必要だが、それは決して偶然目にするだろう読者を最初から排除することではない。
理解度の差はあれど、「これはどういうこと?」という疑問は、子供でも大人でも同じように感じるものだ。ビジネスブログやコーポレートサイトのような難解な文章を熟読する子供はほとんどいないかもしれないが、「これを読んで理解しろ」「読めばわかるでしょ」という一方的なメッセージを発信する記事は、大人であっても簡単に離脱する。
インターネットの世界では、前提知識のないユーザーがどのような経路で流入してくるかの予測が難しい。どれだけ網羅性の高いコンテンツを準備しても、想定したカスタマージャーニー通りに読まれるとは限らない。つまりネットの世界では、思いがけない読者が偶然記事を目にすることも前提にしたライティングが求められるわけだ。
ユーザーは違和感や矛盾に敏感だ。なぜなら、信頼できないものには価値がないからだ。たとえマイナスイメージを持たれなくても、ちょっとしたひっかかりがデジタルタトゥーにならないと誰が言い切れるだろうか。大手出版社などは、この点を細かくチェックするし、そのスタンスも納得できる。
WhoWhat(誰に、何を伝えるか)は確かに重要だ。このターゲットであれば、まずはこれを伝えるべきであるということも十分理解できる。しかし、それが成り立つのは、想定された読者であってもなくても「この情報は信頼できる」「この記事は読むに値する」という前提があってこそだ。逆に、本当に誰にでも伝わるようなメッセージになっていれば、ターゲティングした人以外のユーザーも広義の意味で“お客様”になりうるのだ。
「自分の文章は本当にどんな相手にも理解してもらえるのか?」
この視点を持つことができれば、あなたのライティングは今まで以上に幅広い効果を生み出すことができるようになるだろう。マーケティングのセオリーももちろん重要だが、さらにあらゆる読者の視点と納得性まで考えることができれば、思いがけない市場があなたのターゲットになりうる可能性だってあるのだから。
第三者レビューという工程があることを知っているだろうか。これは独立した第三者がサービスやシステム、文書などの品質や正確性を客観的に評価することを指すが、ベイジではこれを採用している。これはビジネスや企業の信頼性を生み出すことに直結すると私たちは考えるからだ。そして上に書いた視点こそが、この「第三者レビュー」と呼ばれるものなのだと私は理解している。