自分の過去の社会人経験の中でも、仕事で何か問題が起きると、その解決策として「コミュニケーションを密に取りましょう」という話になることは多かった。
実際、仕事の中のトラブルの多くは、コミュニケーションの行き違いである。確かにコミュニケーションの質の改善が、解決の本質であることも多い。
しかし、これを安易に捉えて、やたらとレビューや打ち合わせの回数を増やすのは考えものである。大企業などでは、このような安易な「コミュニケーション強化」が蔓延し、より大切な仕事のスピードを失っているケースも少なくない。
コミュニケーションの回数を増やすというのは、リスクを回避するために生産性を落とすということである。例えば、4人のプロジェクトメンバーが参加する1時間のレビューを1回増やすということは、計4時間の仕事時間を奪うということである。また各人においては、8時間で終わる仕事を、9時間かけてやることになる。
もちろんリスクの内容によっては、そうすべきときもある。しかし、単に不安だから、すぐに思いつくのがそれだから、という理由で、コミュニケーションの回数を増やすことを安易に解決策にしていいものだろうか。
コミュニケーションツールの発達により、顔を合わせなくても、コミュニケーションの質を落とさず、仕事ができる環境は整っている。もちろん、面と向かって話さなければならないこともあるが、面と向かわないと解決できないことばかりでもない。
例えば、何かの伝達がうまく行かなかったのであれば、情報を伝える側が自主的に、チェックシートを用意するだけで済む場合もある。あるいはファイル管理を工夫し、引き継ぐときに漏れや誤解の出ない受け渡し方をするだけで解決できるかもしれない。
こういう、一個人でやれる範囲の改善をせず、すぐに集団でのコミュニケーションで改善しようとする風潮は、単に生産性を落とすだけでなく、他人に甘える体質、自分で解決しようとしない姿勢、工夫して仕事をしない習慣、緊張感の欠如などを助長する。
コミュニケーションを密にする、ということを否定するつもりはない。ただ、その前に、自分自身でもっとできることはないか、できるだけ生産性を落とさず、リスクを最小限に抑え込む方法はないか、ということを具体的に考えるのが、まずすべきことではないだろうか。