知識というのは、普通に仕事や日常生活をしていれば毎日のように獲得してることである。しかし、同じように体験したことなのに、ちゃんと覚えてて仕事の場で活かせる場合と忘れてしまって経験が無駄になってる場合がある。その違いはなんなのだろうか?ということに関する話。
例えば、誰しも「美味しいお店」に関する情報を持っていると思うが、以下のどちらのお店の方が明確に覚えているだろうか?
当然、2だろう。
1に関しては「そういえば〇〇さんが美味しいと言ってたお店があったなぁ、名前なんだったっけかな」というレベルで覚えていればまだマシな方で、そんな話自体を覚えていないことの方が多いのではないだろうか。
2は、足を運び、メニューを選び、食事をする、ということまで体験しているから、記憶に残っている。そのお店について、家族や友人と会話をするという体験までしたのなら、そのお店の特徴を整理して人に話すことができるようになっているだろう。そしてそこまでの体験をしたら、そのお店のことはしばらく忘れないはずである。
つまり、その物事やテーマに対して体験量が多い方が記憶に残り、体験量が少ないものほど忘れてしまう、ということである。
あまりにも当たり前すぎる話だが、スキルアップを目的に何かを学ぶときにこの当たり前の基本法則を忘れてしまっている人も多い。ただ人から話を聴いた、ブログで読んだ、本で読んだ、セミナーを受講した、というだけでそれ以上体験量を増やさない。結果記憶にも残らず、仕事に活かせる知識として身に付かない。
私が社内でよくいう、何かを身に付けたいなら、SNSで語ったり、ブログに書いたり、人と議論したりするのがオススメですよ、というのも同じ理屈である。
例えば、見たり聴いたりしたことをSNSに書くだけでも、体験は以下のように膨れ上がる。
一つことにこれだけの体験をするわけだから記憶に残らないわけがないし、頭の中も整理されてすぐに引き出すことができるようになる。一方、ただ情報を見ただけの場合はどうだろうか。
これで終わりである。しかも2は体験の強度としては非常に弱い。
私は文章化する前に、何を書こうかと頭の中で最初に考えるわけだが、文章にするとうまくまとまらないことがよくある。思ってたように書けなかったりもする。つまり、頭の中でただ思ってる状態では、漠然として、抽象的で、論理的に整理されていないものなのである。
それを文章に起こすから、考えが明確になり、整理され、深堀りされていく。しかし「見て、思ってるだけ」だと、体験量が少なくて記憶されにくいだけでなく、考えの深堀りもされていないから、深い見識にまで落ちず、使える知識にならない。
実は、このような体験量を増やして知識化するというプロセスは、学生の時に経験していたはずである。授業を聴いているだけ、教科書を見ているだけで、テストで良い点が取れただろうか。復習をするときはノートに何かを書いて整理していなかっただろうか。
授業を受けているだけ、教科書を眺めているだけの人は、小学生や中学校の最初までは地頭で付いていけても、高校ぐらいからは勉強についていけなくなり、テストで良い点が取れなくなったものである。
同じように社会人も、本を読んでるだけ、ネットを見ているだけでは、応用可能な知識として身に付けることができず、仕事で成果を出すことは難しい。
体験量を増やして知識として定着させることは、忙しい社会人が効率よく知見を増やすうえで非常に大事な習慣である。SNSや社内ディスカッション、同僚や業界内の人とのコミュニケーション、自らのアウトプットなどを通じて体験量を増やし、経験を知識に昇華できるよう、当たり前のようにこなしていきたいものである。