スキルアップとは、知識や技術を身に付け、自分のスキル(能力)を高めることである。これは自身の社会的な価値を高めることに繋がり、キャリアパスや待遇向上に有利に働くとされている。行動を自分の欲望とリンクさせることはモチベーションに繋がるため「自分のためのスキルアップ」という考えは否定されるものではない。しかしそれは副次的なことでもあり、スキルアップにはもっと大事な前提があることも忘れてはいけない。
その大事な前提とは、スキルアップは他人のため、ということである。
他人をもっと楽にしてあげること。困っている人をもっと上手に助けてあげること。そのために知識や技術を身に付けること。これがスキルアップの本質である。
自己の評価が上がるのは、他人の役に立った結果、起こることである。その前提もなく、自分を楽にする、自分が楽しむ、自分がかっこよく見られる、自分の美学に酔える、社内の評価を上げる、憧れの人に近づける、そんな下心を満たすためだけのスキルアップだとしたら、そこにはそれほど意味がない。
例えば、Aの技術とBの技術、どちらを使うべきか判断する状況を想定してみよう。
どちらの方が最新で、どちらの方がトレンドで、どちらの方がクールで、どちらの方が難易度が高く、デザイナーやエンジニアとしてのレベルの高さを誇示でき、自身がハイレベルな人材であることを証明できるか。これは最初に考えるべきことではない。
まず考えるべきは、その技術の利用者である。どちらの方が処理が早く利用者の体験を阻害しないか、どちらの方が滑らかに動き利用者に心地よく感じてもらえるか、どちらの方がより多くの利用者に使ってもらえるか。これらが最初の判断基準になる。ただしこれを適切に判断するには、利用者への理解がないといけないだろう。独りよがりの都合の良いペルソナを描いて判断しても、それは真に利用者のためにはならない。
受託ビジネスでは、利用者と同時にクライアントのことも考える必要がある。どちらの方が安価に実現できるか、どちらの方がリスクなく導入できるか、どちらの方が運営負荷が軽いか、 どちらの方が検索エンジンのアルゴリズムと親和性が高く集客につながる可能性が高いか。この場合も、クライアントが置かれた状況やビジネス上の目的に対する理解が不可欠である。
利用者を無視した利益中心主義が望ましくないことは言うまでもない。しかし、利用者優先でクライアントの収益性に貢献しない判断も望ましくない。収益が上がらない取り組みには持続性がないからだ。だからこそ、利用者とクライアント、両者のメリットが重なる領域を見極め、判断することが求められる。
もしAとBのどちらの技術を使っても、利用者とクライアントへの影響に大きな差がない場合、次に考えるべきは自身が属する会社やチームのことである。
どちらの技術の方が、デザイナーが突然閃いたより良いアイデアに柔軟に対応できるか。どちらの方が、顧客から無理難題を言われたディレクターをサポートできるか。どちらの方が、UXデザイナーが考案したUX戦略をより理想に近づけられるか。どちらの方がハイパフォーマーな人を助け、その能力を引き出して事業への貢献度を上げられるか。どちらの方が若いスタッフの未熟なスキルでも事業に貢献する可能性を生み出せるか。
Aの技術の方が最新で、デザイナーやエンジニアの間ではクールで、理論上理想的で美しく、難易度が高い故に業界内でヒーローのように称えられるものがあったとしても、Aを採用することで自身と関与するチームメンバーの仕事が増えたり、予期せぬ事象への対応力が落ちたり、事業貢献できる人の数が減ったり、実現のスピードが落ちたりしてしまうのであれば、その技術を選択する意味はない。 周囲を犠牲にして、自己の技術力を誇示したり、試したりすることは望ましい姿ではない。自分の技術の完璧さ、潔癖性を追い求めるがゆえに、メンバーに何かを強いたり、今まで楽にできていたことに苦労させるようになってはいけない。
もちろんここには、経済的コスト、時間的コストも含まれる。予算よりも安く実現できれば それは収益性にも影響し 、予定よりも早く終われば、通常はメンバーのスケジュールにも好影響を与えるからだ。
ユーザー、クライアント、チーム、それぞれにあまり影響がない、あるいは一長一短で良い悪しが判断できない場合において、ようやく自分の好みで決めて良いだろう。
スキルアップとは、AとBをより上手にこなせるようになるか、あるいはCやDやEといった異なる技術を身に付けることである。そうすると判断の選択肢が増える。選択肢が増えることで、ユーザーやクライアントやチームに貢献するチャンスが増える。組織の収益性も高まり、その貢献が評価され、収入に反映されたり、活躍が知れ渡り社外でも評価も高まる。これがスキルアップが自分のためになるカラクリである。
最新の技術やトレンドを身に付け、積極的に試すこと自体は悪いことではない。選択肢が増えるわけだから、歓迎されるべきだ。 しかし、どれを選択するか、という段階においては、大前提としての、まず他人を楽にする、他人の役に立つ、困ってる他人を助ける、他人に貢献する、がなければ意味がない。
あるいは、知識を得たり技術を身に付けただけでは、それはまだスキルではないともいえる。他人に役立つように適切な技術を選択する判断力、実利を伴う貢献の実績があってはじめて、技術はスキルになる。
ここでは主にデザイナーやエンジニアを例にとったが、これは全ての職能においていえることである。そしてチームを構成するすべてのメンバーが、「スキルは他人を楽にするため」「スキルは他人に貢献するため」という意識を持っていれば、メンバーのスキルが最大限発揮され、チームのパフォーマンスは最大化されるだろう。
もちろん現実には、全体調整を優先し、折り合いをつける中で、自身はどこか妥協したり、我慢したりしなければならない局面も出てくるだろう。しかしそれでも総じて「他人のためにスキルを行使する」という大義を理解していれば、その判断は悪い方向には働かないだろう。
さらにいえば、スキルの自己評価と、他者から受ける評価が一致しないと感じる人は、高い技術を持っているかどうかではなく、他者に大きな貢献しているかどうかの観点から、自分の本当のスキルというものをもう一度見つめなおしてみるといいのではないだろうか。