初めてプログラミングに触れた時、私はまだ10代で、それは「Perl」という言語だった。当時の私はホームページ作りに熱中しており、今思えば、遊びながらインターネットの基礎をかなり学んでいた。プログラミングをしようと思ったきっかけも、ホームページに掲示板を設置して遊びたいからだった。
その後、社会人になった私はプログラマも一時期経験したが、結局エンジニアにはならず、現在はディレクターとして働いている。それでも、「Perl」は私のプログラミングの原体験として、特別な思い入れがある言語だ。
その「Perl」の生みの親であるラリー・ウォールという人は、プログラマの三大美徳に「怠惰」「短気」「傲慢」の三つを挙げている。
単語だけ見るとネガティブな印象を受けるが、それぞれ以下のような意図がある。
同じ作業を何度もするのは面倒くさい。繰り返す作業の中で起きたミスを修正したり、それに対策をするのも面倒くさい。とにかく面倒くさい。
どうしようもなく面倒くさいが、このミスが全体に影響を及ぼしたり、後のほうで気付いたりすればきっともっと面倒くさい。
だったら、あらかじめ対策を練っておいたほうがいい。
仕事をするうえで、短気な性格だと損をすると思い込んでる人が多いが、そんなことはない。
短気だからこそ、今より少しでも処理が早くなる方法を追及しよう、トラブルが起きないように事前準備を徹底しよう、と考えられる。
業務の高速化や事前準備に繋げられるなら、短気もそんなに悪いことではない。
ミスをしたくない、人に厳しくフィードバックされたくない、というプライドは持ち続けよう。
人によっては、扱いにくい奴だとか、とっつきにくい奴だとか思われることもあるだろう。しかし、自分の仕事を誰に対しても自信を持って見せられるというプロ意識が、仕事には必要だ。
他人を見下すような傲慢さはよくないが、自尊心を持ち、恥ずかしくない仕事をするべきだ。
以上の3つが、ラリー・ウォールの考えるプログラマの三大美徳だが、実は職種を問わず必要な考え方ではないだろうか。それぞれ3つと結びつく、面倒くさいから、イライラするから、怒られたくないから、といった個人的な感情は、作業の質と効率を高めるためのモチベーションにも転じやすい。
特に、私は「面倒くさい」という気持ちに敏感であることが大事だと思っている。なぜなら、面倒くさいからこそ、先人が作ったツールを探したり、効率化する方法を追及したりといったハックに情熱をかけられるからだ。
それに、「面倒くさい」に無頓着だと、他人にも同じ面倒くささを強いてしまうことになる。自分はこの面倒くささを我慢できるから、みんなも我慢してね、という考え方では、全体の作業効率は落ちる一方だ。
そんな私には、これから面倒くさい集計作業が待ち受けている。この「ものすごく面倒くさい」という気持ちを、未来の自分や他のメンバーを救うための解決策へと繋げていきたい。