ベイジにライターとして新卒入社して早1年。仕事にはだいぶ慣れてきたとは言え、まだまだ毎日のように大量の「分からない」「知らない」にぶつかる。
ツールの使い方、仕事のスケジュールの引き方、他職種との連携の取り方などなど、あげだしたらキリがない。
こんなとき、多くの人は自力でどうにかしようと悩んだり、緊急性の低いことなら「もういいか」と諦めてしまうのではないだろうか。私も1人で考え込んでしまう性格なので、その気持ちはよくわかる。
しかし、「分からない」「知らない」ことが出てきたら、恐れずにすぐ質問する。これがストレスなく仕事を進めるカギになるのでは、と最近よく感じる。
「分からない」「知らない」を伝えることって、どうしてこんなにも億劫なのだろうか?それは大前提として「分からない」「知らない」ことが悪いこと・恥ずかしいことだと思っているからではないだろうか。
たとえば社内で仕事の進め方がわからないとき、あるいは顧客ミーティングで相手の言っていることが理解できなかったときには、「こんな初歩的なことを聞いたら迷惑かも…」「業務理解できてないと思われて信頼を失うかも…」と思ったりする。
確かにその疑問は、本来なら理解しておくべきことなのかもしれない。しかし、自分には到底手に負えないレベルの高い課題だった、という場合もある。だからこそ、「分からない」ことが一概に悪いこととは言えないのだ。
それよりもリスキーなのは「分かったフリ」「知っているフリ」だと思う。分かったフリで課題解決を先延ばしにしていると、結果的に認識に大きなズレが生じ、まったく成果につながらない成果物が出来てしまった、という事態になりかねない。
だからこそ、早い段階で素直に「分からない」ことを表明して、課題を解消した方がよい。現在の自分のレベルを把握することにもつながるので、一石二鳥なのではと思う。
「そうは言っても言いだしづらい…」そんなときには、質問する前に以下のような言葉を付け足すと、心理的ハードルが下がるかもしれない。
これらの枕詞を付けるだけで、一方的に不明点を聞くよりも、丁寧さ謙虚さが感じられる。
人に「分からない」「知らない」を聞くことはとても勇気のいることだ。だからこそ、枕詞のようなテクニックを使いながら、時には勇気を振り絞って「分からない」を伝える。そうして不明点を解消していくことが、成長の1番の近道なのだと思う。