2014年9月9日、アップルの新製品発表会が行われました。
人々の注目は、iPhone6とApple Watchだったと思いますが、Web制作者としてちょっとした驚きだったのは、発表と同時にWebサイトがスマートフォン対応したことです。
現在、多くの企業サイトで、スマートフォンからのアクセスが急増しています。スマートフォンユーザが直接的なターゲットとは考えにくい企業サイトでさえ、スマートフォンからのアクセスが3~4割を超えることが当たり前になってきました。
モバイルファーストという言葉も生まれ、スマートフォン対応をしているかどうかを、検索アルゴリズムの評価項目に加えているとGoogleが公言するほど、「スマートフォン対応=正しいWebサイト」とさえいえるようなムードの中で、アップルだけは、頑なにWebサイトのスマートフォン対応を行なってきませんでした。
このアップルの選択は、「アップルでさえスマートフォン対応をしていないのだから」という理由で、企業がスマートフォン対策を見送る際の理由の一つにもなっていました。
しかし、ここに来てのアップルのスマートフォン対応は、この流れに少なからず影響を与える気がします。
このエントリーでは、まず、今までアップルがスマートフォン対策をしなかったいくつかの理由を推測しています。そのうえで、アップルがこの段階でスマートフォン対応を行った理由を考察します。
こう書くと当たり前っぽくなってしまうのですが、まず、アップルのWebサイトは、購入前の顧客をターゲットにしています。そのうえで、スマートフォンを使って訪れるユーザには、発売済のiPhone利用者と、他社スマートフォン利用者の2種類が存在します。
前者は、すでにiPhoneを使っていて、その上でWebサイトに訪れていることから、アップルへの信頼は十分で、購入確度は高いといえます。アップルに懐疑的ならそもそも選択肢にならず、Webサイトにも来ないでしょう。そう考えると、わざわざスマートフォン対応をしてまで出迎える必然性はないかもしれません。
一方、Androidなどを搭載した他社スマートフォンを利用しているユーザはどうでしょうか。アップルにとって、こういったユーザは、競合製品を使っているユーザです。アップルが、競合製品でのユーザ体験を、自社サイトで高めてあげる必要はあるでしょうか?
このようにスマートフォンでWebサイトに訪問するユーザを詳細に考えていった結果、結局スマートフォン対応の必要はない、と判断していた可能性は十分にあります。
アップルの戦略をかなりざっくりとらえると(実際はもっと複雑ですが)、このような構造になっているのではないでしょうか。
この中で、売上げ/利益に直接的な影響を与えているのは、主に金色の部分となります。一方、Webサイトは広告戦略の中でのタッチポイントの一つではあり、必ず経由すべきタッチポイントではありません。例えば、あなたの身の回りにも、アップルのWebサイトに訪れず、友人の口コミやテレビの認知、あるいはショップの体験で、iPhone購入の意思決定をした人は多いのではないでしょうか。
iPhone、iPod、Mac、iPadと、製品によって戦術は異なりますが、基本的な戦略構造に違いはありません。アップル製品は、Webサイトよりもはるか上位レイヤーが主戦場であり、ここでの成果で、大きな売上げをあげていると考えられます。
そう考えたときに、スマートフォン対応がどの程度重要でしょうか。ここで大事なのは、スマートフォン対応が戦略上、下位にあることではありません。全体の戦略に与えるインパクトの大きさです。
もちろん、「ないよりあった方がいい」という考えもあるでしょう。スマートフォン対応をすることで、顧客に転換するユーザもいないわけではないでしょう。しかしそれは、全体の戦略の中では、些細な誤差の範疇に入るレベルの話ではないでしょうか。
と、このようにアップルの戦略構造を考えていくと、スマートフォン対応にこだわる必要はなかった、という考えに至ったことも推測されます。
いうまでもありませんが、アップルは非常に知名度の高いブランドです。彼らの販売する製品をはじめ、ビジネスのスタイルから、故スティーブ・ジョブスの残した言葉に至るまで、あらゆる文脈が強固なブランドを形成しています。「ユーザの声を聴かない」などという言葉も、彼ららしいマーケティング論として知らせています。
世の中の主流に「No!」を突きつける姿勢は、彼ららしく感じます。強いブランドを持っているから、スマートフォン閲覧時に多少不便でも、致命的なブランド体験にはなりません。そもそも、彼らのメインターゲットは、彼らへのロイヤリティが高く、リテラシーも高いため、そんなことでアップルを否定するようなユーザも少ないでしょう。
このように、彼らのブランド力を評価すると、スマートフォン対応をすべき必然性は見つからなかったのかもしれません。
アップルのWebサイトを見ると、ビジュアルが非常に大きく扱われているのがわかります。PCで見たときに、画面から溢れんばかりに製品写真が飛び出してきます。
アップルにとっては、プロダクト自体がタレントです。これら製品の魅力の一つは美しいプロダクトデザインであり、それは大きな画面でなければ伝わりにくいものです。
もしもスマートフォン対応をした場合、これらの写真は小さく収まってしまい、魅力を伝えにくくなるでしょう。ピンチして拡大して見ればいい、という考えもありますが、PC向けにレイアウトされたサイトならともかく、スマートフォンに最適化さえてしまっていると、拡大せず、小さいままで見て判断するユーザが増えるのではないでしょうか。
このように、アップル製品にとって、プロダクトデザインというのは強力なアドバンテージの一であり、これをスマートフォン上でもっとも効果的に見せる方法が、PCサイトのまま、拡大してみてもらう、という判断だった可能性もあるのではないでしょうか。
さて、最後の理由は、スマートフォン対応そのものに対する批判です。スマートフォン対応=正しいWebサイトな風潮がある、と冒頭に書きましたが、スマートフォン対応に批判的な見解も、一部では存在します。例えば、スマートフォン対応をしてしまうと、以下のようなデメリットが発生する、という意見です。
個人的には、これらは、ある限られた条件下でのみ露見するデメリットであり、実際には、PCサイトをスマートフォンで見せることのデメリットも含めて、判断しなければならないと思います。が、いずれにしろ、アップルがアンチ・スマートフォン対応派であった可能性は十分にあります。
これは、技術的なメリットは多々あったにもかかわらず、完全否定したFlashに対する態度ともどことなく似たものを感じます。また、前述のブランド力という前提があるからこそ、アンチなポジションでいることができたとも言えます。
いずれにしろ、合理的な判断だけでなく、「私たちはこう思う」という強い信念やポリシーを持っていることも、アップルがスマートフォン対応をしなかった理由の一つとして考えられます。
上記のように、スマートフォン対応を見送る理由はいくつか考えられるのですが、この段階でスマートフォン対応をしたということは、これらの前提条件が変わった、もしくは誤っていた、ということなのだと思います。
考えられる理由は、大きく2つあると思います。
1つ目は、競争の激化と戦略の変化です。
既に伝えられている通り、日本では好調なiPhoneも、世界ではシェアを大きく落としてきています。コストリーダーシップは端から考えていないアップルにとって、Android系スマートフォンの全てが競合というわけではないしょうが、iPhone6でAndroid系スマートフォンへの対抗措置をいくつか打ってきたことを考えると、これ以上のシェア低下は避けたい、という思惑が見えてきます。そうすると、絶対的なブランド力を背景に唯我独尊を貫くというより、レッドオーシャンの中で死闘を繰り広げるような戦略を選ばざるをえなくなります。
こういう状況で勝つためには、ランチェスター戦略に乗っ取って考えれば、強者(アップル)は徹底的に弱者の差別化に追随することです。つまり、見劣りする部分は模倣して対抗する、というのが基本的な行動様式になります。Webサイトのスマートフォン対応自体が、Android系スマートフォンにおける差別化戦略ではまったくありませんし、それによってiPhone6が大きく売れるようなことはないと思いますが、局地戦化している現状において、できることはやっておこう、という判断が働いたと考えられます。
また、別の見方をすれば、アップルのイノベーションの質が変わったともいえます。
イノベーションには破壊的イノベーションと持続的イノベーションがありますが、iMac、iPod、iPhone、iPadと立て続けに既存カテゴリを壊す新製品を発表してきたアップルの基本戦略は、明らかに破壊的イノベーションでした。しかし今現在のアップルの基本戦略は、持続的イノベーションです。革新的な製品で既存市場を破壊していく攻めの戦略ではなく、成功した製品をより洗練させて競合の攻撃を防ぐ守りの戦略です。
こういう戦略において重要なのは、やはり細かな弱点を潰しながら、ディテールをアップデートさせていくことです。それは製品に対してだけではなく、戦略、戦術においてもいえることです。売上げに影響の大きい上位戦略のみならず、より下部に位置する戦略・戦術に至るまで、細かな改善を加えていくことが、主なアクションになってきます。
こういった諸々の戦略的背景の中で、Webサイトが非スマートフォン対応であることに目を向け、スマートフォン対応をするという判断に傾いたのは、容易に想像できることです。
2つ目の理由は、スマートフォンの大型化と画質向上ではないでしょうか。しなかった理由4にあたる部分ですが、iPhone6の大型化、そして今後もその傾向が続くと考えると、スマートフォンで、アップルの美しい製品を魅力的に伝える環境が整った、アップルブランドが許容できる表現が可能になった、と解釈したのかもしれません。
些細なことですが、さすがアップルだなと思ったのは、例えばPCでは横向きの画像を、スマホでは縦向きの画像に変えるなど、デバイスごとにきちんと画像を用意していることで、このあたりに、ブラウザでできるだけ製品を美しく見せるんだ、というアップルの強い意志を感じることができます。
iPhone6特設ページのリードビジュアルは、PC版(上)では横置き画像だが、スマートフォン版(下)では縦置き画像になっている。「Keynoteを見る」の表示順も調整されており、機械的なレスポンシブではなく、スマートフォンでの見え方をきちんと考慮したスマートフォン対応になっている。
さて、こういったアップルの動きから私たちが学ばなければならないのは、「他社の戦略を安易に模倣しない」ということです。
アップルが今までスマートフォン対応をせず、ここに来てスマートフォン対応をした理由は、上記のようなことを複合的に判断したからでしょう。これらはすべて、アップルというブランド、置かれている環境が前提の判断です。
認知の低いブランドであり、さらに「お客様最優先」がコンセプトの会社だったら、また状況は異なります。BtoC向けのグローバル企業と、BtoB向けのローカル企業では、判断基準も大きく変わるでしょう。
個人的には、ほとんどの企業、ブランドはスマートフォン対応をすべき、というのが私の考えです。しかし、そこにはコストという制約がどうしても生まれくるので、投資に対するリターンを見極めて、優先順位を付けていく必要があります。そのときに、アップルがスマートフォン対応をしないからわが社もしない、アップルがしたからわが社もする、という安易な追随は、間違った判断、見合わない投資をしてしまう可能性もあります。
上記のような、スマートフォン化すべき背景を自社になぞらえて考え、そのうえで、スマートフォン対応を実施するのか、しないのか、するのであればレスポンシブなのか、そうではない方法を取るのか、などを決断しなければならないのだと思います。