世の中には「夢を実現しよう」「好きなことを仕事にしよう」といったメッセージで溢れています。まるでそれが、幸せな人生を掴むための重要な条件であるかのようです。
確かに、大好きなことを仕事にできれば、苦労や努力も前向きに受け取れるでしょうし、なんでも仕事と結び付けて生活するようになるから、仕事で成功する確率も上がるでしょう。
しかし現実に目を向けると、「夢だったこと」「好きなこと」「やりたかったこと」を仕事にして、全員が成功している(=この仕事を選んでよかったと心から思えている)わけではありません。そのことで、苦しく辛い毎日を送ったり、大きな挫折を味わったりする人もいます。
同じように「好き」という気持ちを仕事にして、こういう差はなぜ生まれるのでしょうか?つい、才能やセンスの違いと思ってしまいがちですが、それ以前の問題が大きいのではないかと感じています。そのあたりの考えを少し整理してみました。
例えば、「ビートルズが好き」という人がいます。でも、同じ「ビートルズが好き」という人の中でも、以下のようなパターンがあるのではないしょうか。
どの人も、「ビートルズが好き」なのはウソではないでしょう。しかし、「好き」から導き出された結果はバラバラです。同じ「好き」でも、それぞれ「好き」の強さが違うし、「好き」から起こしている行動の量が違います。
趣味であれば、どれも一様に「好き」ということでいいでしょう。しかし仕事となると、この「好き」の強度が大きな差を生みます。例えば、上記の3タイプのうち、ビートルズが好きという気持ちから生計を立てることができるのはどの人でしょうか。言うまでもなく、成功の確率で考えると、レベル3>レベル2>レベル1となるでしょう。
レベル1の人の「好き」は、強度が低いため、そこから起こしている行動量も多くありません。確かに「好き」なのだろうけど、多くの行動を起こすほど好きではない、とも言えます。
こういう人がその時の「好き」という気持ちを基準にして仕事を選んでも、うまくいく確率は、レベル2やレベル3の人に比べると低いでしょう。そもそも、好きな仕事に就こうと思っても、その権利すら手に入れることができないかもしれません。
例えばデザイナーやエンジニアのような仕事に未経験で就くためには、「とにかく自分の作品を作れ」といわれるのは、一つにはこういう理由からです。いくら「好きです」「興味があります」「がんばります」と口では言えても、そこから起こしている行動量が少ないと、好きの強度が低い→仕事で成功する確率が低い、とみなされ、選考で落とされてしまうわけです。
レベル1くらいの強度の人が、運よく面接をくぐりぬけ、晴れて「好き」を仕事にしても、何しろ「好き」の強度が低いので、困難なことがあってもがんばれない。24時間そのことばかり考えている人たちがライバルになるので、本人はがんばっているつもりでも差が埋まらない。差が埋まらないから、がんばっていないとさえ判断されてしまう。結果、仕事がうまくいかない。ということになりがちです。
では、レベル1の人が就職しても100%絶対にうまくいかないのか、と言われると、実は必ずしもそういうわけでもありません。
最初はちょっと興味があるレベルだったけど、仕事をこなす中で、徐々に好きの強度が高まり、レベル1からレベル3にランクアップして活躍する人が少なからず存在します。
特に、事前に経験できないような職種では、未経験で「好き」の強度を高めることが難しいため、仕事に就いてからどこまで「好き」を高められるかが勝負になることが多いでしょう。
では、最初はレベル1だったのにうまくいく人と、うまくいかない人は、どういう違いがあるのでしょうか。ここでも、例え話を元に、その典型的な行動パターンをシミュレーションしてみました。
ビートルズのすべての曲を高水準に演奏できる人が集まり、カバーバンドを組むことになりました。しかし、どうしてもベーシストだけが見つかりません。そこで、そんなにビートルズに詳しくなく、演奏が下手でも、とりあえずベースができる人を迎え入れて育てることになりました。
青山さんはビートルズが好きですが、ベストアルバムを持っている程度の興味しかない人でした。好きの強度でいうならレベル1の人でした。カバーバンドが面白いと思い、なによりメンバーのスキルが高く、共に活動すれば自分の演奏技術もあがると思い、参加を決定しました。
青山さんはビートルズが好きといっても、ベストアルバムを聴いたレベルなので、メンバーとは思い入れの強さも、知識量も、大きな差がありました。そのため、自分の立場をわきまえ、まずは他のメンバーを尊重し、余計なことはせず、メンバーの指示に従っていこうと決めました。
また青山さんは、ビートルズだけが好きなわけでありません。他にも聴きたい音楽、演奏したい音楽もあります。その時間を失ってしまうのは、充実したライフスタイルとは相反します。そうしないと、バンド活動へのモチベーションも維持できない気がしていました。
そのため、ビートルズを演奏するのは、みんなで集まった練習の場だけとしました。一人で行う自主練はなるべく減らし、バンドと切り離された自由時間もきちんと確保しながら、効率よくバンドに貢献していこうと思いました。
しかし当然ながら、好きの熱量も低く、演奏技術も高いわけではなく、割いている時間も少なく、ただ指示されたことをするだけなので、なかなかうまくは行きません。特に、言葉では伝えにくい感覚的な部分を自分なりに解釈して演奏するということができず、メンバーに指示された通りに演奏し、そのたびになんか違うなぁ、とやり直しさせられ、ということがずっと続きました。
やがて、なかなか上達せずいつもダメ出しされるばかりなので、練習に行くのが億劫になってきました。メンバーと心に溝ができるようにもなりました。また、なんとなくビートルズを聴くとバンドの嫌なことを思い出すようになり、ますますビートルズを聴くことから遠ざかってしまいました。
そのうち、自分には向いていなかった、才能がなかった、と思うようになり、バンドから脱退してしまいました。
赤川さんも、ビートルズはベストアルバムを持っている程度の関心しかない、レベル1の人でした。カバーバンドのコンセプトが面白いと思い、なにより演奏技術が高い人たちと活動することで自分の演奏力も上がると思い、バンドに参加しました。
赤川さんがバンドに入ると、他のメンバーのビートルズ愛に圧倒されました。そして、明らかにタイプが違う自分がここにいることはマズいと強い危機感を持ちました。
そのため赤川さんは、プライベートで聴く音楽は全部ビートルズに変えました。アルバムもすぐにすべて取り揃えました。主要な曲はできるだけ弾けるよう、時間があれば自主練をしました。他に聴きたい音楽や、観たい映画、読みたい本もありましたが、まずメンバーに追いつくまではそれらを封印し、割り当てることができるすべての時間をバンド活動に捧げました。
ある日、メンバーが決めた曲を音合わせする場になりました。当然、ビートルズのことはにわか仕込みで、演奏技術も高くないので、結果はボロボロでした。
しかし、そのことにさらなる危機感を覚えた赤川さんは、プライベートの時間を割き、指摘された箇所、失敗した個所をひたすら練習して、克服するようにしました。また、今は演奏力だけでは他のメンバーに貢献できないと思い、Youtubeでポール・マッカートニーのステージアクションを研究し、ライブでそれをやることを提案してみたりしました。
赤川さんは演奏力も未熟で、ビートルズのことも詳しくなかったので、しばらくはバンドに馴染んでいる実感が持てませんでした。しかし、その熱心な姿勢、自分からもっとこうしたらいいのでは、と提案する前向きな姿勢、さらには未熟だからこそ感じることができる新鮮な視点は、メンバーの気持ちにも良い影響を与えるようになってきました
さらに、打てば響く赤川さんに何かを教えることはメンバーにとっても楽しいことで、積極的に何かを教えるようになりました。赤川さんも、みんなが優しくしてくれるので徐々にバンド活動が楽しくなっていきました。当然、ビートルズのことも詳しくなり、気付けば、ビートルズの話をすると止まらないくらいのビートルズマニアになっていました。
青山さんも赤川さんも、スタート時点ではレベル1でした。しかし、バンドに入ってからの行動の仕方で、結果に大きな差が生まれました。
青山さんは、レベル1のマインドのまま、レベル1の行動様式のまま、何も変えずに、活動をしました。自分を変えるのではなく、周りに引き上げてもらおうとしていました。結局、活動を続けるための小さな成功体験ができず、困難なことがあっても踏ん張ることもできなくなり、期待した結果になりませんでした。
一方の赤川さんは、レベル3の人たちとの歴然とした差を感じ、レベル3に追いつかなければいけないと必死に行動を続けました。周りに引き上げてもらうのではなく、自分からそこに上っていこうと行動しました。他のメンバーが動きを止めているときが差を縮めるチャンスとばかりに、プライベートのほとんどをレベル3の人に追いつくための活動に捧げました。それだけの時間と気持ちを込めれば、そこに愛着や愛情や拘りが自然と芽生えるものです。結果、レベル1で始めたにもかかわらず、レベル3になっていったわけです。
作り話なので、都合のいいストーリーになっていることは否定しませんが、これを仕事に置き換えても、案外ありがちな話ではないでしょうか。
確かに、仕事を選ぶ時点での好きの強度は高い方が有利です。強度を上げ、行動量でそのことを証明しないと、働く権利すら手に入らないこともよくあります。なので、本当に「好き」という気持ちを仕事に繋げたいのなら、できる限りレベル3に近づいておく必要はあります。
しかし、本当の勝負は、その仕事に就いてからともいえます。好きなことを仕事にできたのに、それに安心し、あまり勉強をしないでいると、愛着も増さず、「好き」という気持ちをエネルギーに転換して困難を乗り切ることもできず、結果うまくいかない、ということになります。
これは、才能やセンスの問題ではありません。才能やセンスが求められるのは、レベル3同士のハイレベルな戦いにおいてのみ。そのレベルに至るまでは、才能やセンスではなく、好きの強度、好きから生まれる行動量で、勝負は決するのです。
結局のところ、青山さんに象徴される、以下のようなタイプの人は、「好き」という気持ちで仕事を選んではいけないのではないでしょうか。
では、今まで何かに夢中になったことがない人、「好き」という気持ちが今まであまり強くならなかった人は、仕事で成功しないのでしょうか。ここまでの話と相反するようですが、私はそうは思いません。そのヒントは、赤川さんの行動の中に隠されています。
仕事選びに成功している人、楽しそうに仕事をしている人が皆、最初から好きな仕事に就いたわけではありません。最初は義務感だったかもしれません。あるいは生活のためだったかもしれません。
でも、夢中に仕事をするから、仕事のことが気になっていくのです。仕事が気になるから、勉強する気が起き、知識やスキルが付くのです。知識やスキルが付くから、人から頼られる機会が増え、喜びが生まれるのです。喜びを感じるから、仕事が好きになるのです。最初から大好きだなんてことは、必ずしもあるわけではないのです。目の前の仕事を一生懸命こなしながら、人から色々なことを頼まれるうちに、自分の好きな仕事に巡り合えた、好きな仕事であると実感できるようになった人も多いのです。
逆に、好きな仕事に就いたつもりでも、仕事の時間以外に勉強をしなかったり、急速に基礎を身に付けるべき成長期に優先度の低い余暇のことばかり考えていたり、緩い環境でのんびり仕事をするのが習慣化してしまったりすると、好きの強度が高まらず、継続的な学習を苦痛と感じ、十分な知識やスキルが自然と身に付かず、いつまでも周囲の期待に応えられず、好きなことを仕事にしたのに仕事がうまくいかない、青山さんのようなタイプの人になってしまいます。
結局のところ、最初に「好き」であるかどうかは、実はあまり重要ではないのです。仕事に就いてから、どれだけその仕事に没入できるかが問題なのです。「この仕事は本当に好きな仕事じゃないから」「自分に向いていると確信できたら本気を出そう」「自分にはこれ以上は無理なんで」などといって力をセーブして働いているようでは、どんな仕事もプロとしてやっていけるほどに十分な「好き」にはならないでしょう。
また、自分や社会が見えていない未熟な頃に、「好き」の気持ちに従って仕事を選ぶことを促すようなメッセージを真に受けてはいけません。こういうメッセージをなんの問題意識もなく受け取ると、仕事の中で出会う困難から逃げることに口実を与え、本当に好きなことを見つけられない人、継続や努力の積み重ねを軽視して何も極められない人になってしまうのではないでしょうか。
もちろん、明らかに自分はレベル3だと思える人は、今の自分が見ている「夢」や「好き」に向かってどんどん突き進んでいいでしょう。未経験の段階でも、それだけ好きな気持ちを高めることができる人なら、有利に仕事を選ぶことができますし、仕事に就いてからも、成功する確率は高いでしょう。
しかし、今の自分に強い「好き」「やりたいこと」がないのなら、あるいはどう考えてもあまり強くないのなら、好き探し、やりたいこと探し、自分に向いている仕事探しは一旦止めましょう。向き合うべき困難から逃げ、自分の好きなことを仕事にしたら幸せになれるんだという変な固定観念を持ったまま、存在するかどうかも分からない理想郷を探すのは名案ではありません。素人が感じる「これこそが自分のしたい仕事だ」という判断には、その仕事のキレイなところしか見ておらず、勘違いや誤解も多分に含まれてるものです。
それよりもまず、今の自分が手にできる仕事やチャンスの中からベターなものを選び、あとは、今の自分が求められること、できることを必死でやればいいのではないでしょうか。夢中に仕事をしていれば、その中で自分の好きなことが見つかったり、本当に好きなことがなんなのか見えてきたり、好きという気持ちが育ったりしていく可能性が高いわけですから。
さて、ここで、「好き」という気持ちと仕事選びについて考えさせられる映画を2つご紹介します。
一つは『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』。80年代初頭に瞬間風速的に注目を浴びたものの、その後大きく成功することなく、50歳を超える今もロックスターになることを夢見て活動している2人のカナダ人ミュージシャンのドキュメンタリー映画です。
登場する二人の生き方から、本当に好きなことを追求することの幸せと苦悩の両極端を垣間見ることができます。いやどちらかというと、この映画では、辛く惨めなことの方が多いかもしれません。私自身は、彼らの人生が非常に素晴らしいと思いましたが、家族の不安や屈辱的な数々の試練、結果として成功していない現実をどう受け取るかは、人によって変わると思います。
ここで描かれているのは極端な例ですが、「好き」を仕事にするのは、甘いものではない、このくらいのことが待ち受けているかもしれない、それでも彼らのように、「好き」という初期衝動に従ってやっていけるのか、という自分の中の覚悟を試すことができる映画ではないかと思います。
もう一つは『シュガーラッシュ』というディズニー映画です。ゲームの中の悪役である主人公は、自分に与えられた役割が、自分が本当にやりたいことではない、ということで思い悩みます。そして、みんなから注目されるようなヒーローになろうと旅を続ける中で、自分が与えられた仕事、自分だからできる仕事に全力で取り組むことの大切さに気付いていきます。
ディズニー映画らしく、綺麗にまとまったお話でありつつ、大人が見ても十分に楽しめる骨太な内容になっています。特に、仕事で悩みがちな学生や社会人こそ観るべき傑作ではないかと思います。