ミーティングや打ち合わせで議論する中で自分の考えを述べる際は、「考え」と「根拠」がセットであることが求められる。その理由と客観的な根拠を添えることで、他の参加メンバーとの合意形成や議論の進行がスムーズになるからだ。
逆に根拠がなかったり、あったとしても客観性に欠けると、その意見は価値が低いと受け取られやすい。実際に上司や先輩から「意見を言うときは根拠もセットで言うべき」と指導されたことがある人も多いだろう。
ゆえに議論中は、以下のような客観性を欠く発言は嫌われる傾向にある。
「明確な根拠はないんですが、個人的には◯◯だと思います」
「感覚の域を超えないのですが、個人的には◯◯だと思ってます」
「うまく説明できないんですが、◯◯な気がします」
一方でふとその場に出された「たいして根拠のない誰かの意見」が、膠着していた議論を発展させる瞬間に立ち会ったことはないだろうか?その議論の果てに、思いもよらなかったナイスなアイデアが生まれたことはなかっただろうか?私はめちゃくちゃある(たぶん)。
そもそも議論とは、まだ決まっていない何かについてコミュニケーションを重ねることで最終的に共通認識を持つための道のりのはず。当然ながらその過程は、何事もなくスムーズに目的地までたどり着きました!なんてことはなく、何度も「あーでもない、こーでもない」「あっちへ行き、こっちへ行き」が繰り返され、やっとのことで多くの人が腹から納得できるゴールにたどり着けるというものだ。これこそが議論の醍醐味であり、そこにおいいては個人的な主観が大いに役立つ(と信じている)。
以下、個人的主観大好きおじさんである私が、主観のメリットを3つ述べる。
主観、感覚の強い発言が場に出ると「それって具体的にどういうことですか?」「それってこういうことですか?」などツッコミが発生しやすい。そしてそれがキッカケになって議論が深まり、新しい視点やアイディアが生まれやすくなる。
論理だった主張だけでなく、個人主観寄りの発言が増えることで、発言のハードルが下がり、結果としてより多くの人が意見を出しやすい空気が醸成されて議論が活性化される。
ただの個人の感覚だと思っていたことが、「実は私も近いことを考えてました」など意外にも他メンバーから共感されることがあったり、新たな共通認識のきっかけになる可能性がある。
デメリットも色々あるが、大きいものとしてはツッコミ上手な人がいないとスルーされやすい(何言ってんだコイツ?感が出てツラい)というのがあるかもしれない。
なお個人的な考えや感覚をそのまま発言するのは簡単ではない。特に新入社員や若手メンバーは、経験豊富な先輩の前で自らの個人的な意見を述べるのは気が引けるだろう。
だからこそ、中堅やベテランの役割が大きい。先輩が率先して個人的な意見を出し、議論を活性化させる。先輩自らが「踏み台」を差し出して、若者たちに大いに踏み潰してもらえばいい。
私自身はミーティングなどで個人的な考えを述べるのは得意なほうだが、他メンバーのそれを引き出すことには長けていないので、もっと参加メンバーの主観、感覚を引き出すような対話術を磨きたい。
以上、個人的に思ったことでした。