ペルソナはプロジェクトメンバー間の認識共有に便利なので、積極的に利用したい手法ではある。一方で「正しいペルソナ」「適切なペルソナ」を作るのは非常に難しいと感じる。
「データに基づいてペルソナを作るべき」というのはよく言われることである。しかし、ユーザの購買行動/情報取得行動に影響を与えるすべての要因がデータにできるわけではない。
例えば心理要因などは確かにデプスインタビューなどで取れるが、スコアリング方法など再利用可能な状態でデータ化するには一つの障壁がある。そもそもインタビューやアンケートは自己申告制であり、その内容は適切かどうかの問題があり、当然自身が自覚していないパラメータはその方法では取得できない。例えば性格のようなものは自己申告では判別できないが、一方でその他のパラメータから定義づけすることも難しい。しかし性格が購買行動/情報取得行動に影響を与える可能性は高いだろう。
このように、データが活用できる範囲は限定的であり、重要ではあるがデータが活用できない領域は、経験者による憶測で設定せざるを得ない。結果、データに基づかない主観的なペルソナと大差ない、ということにもなりかねない。
また、ペルソナをどこまで精緻化するかの判断も難しい。なぜなら精緻化しすぎることでの弊害も起こり得るからである。例えば実際には性差なく使われるサービスなのにペルソナを30代女性と設定し、その後のコミュニケーションもすべてそこに最適化するのが、果たして良い結果を生むのか。そもそもデモグラフィックによるセグメンテーションが有効でない商材でデモグラフィック属性をペルソナに設定する意味はあるのか。もちろん、これらは厳密にはペルソナという手法の問題ではなく、それを取り扱う人間側の問題ではあるが。
また、データのボリュームゾーンや平均値をペルソナ化するケースが多いが、その判断自体が妥当ではない場合がある。例えば20~30代男性が平均あるいはボリュームゾーンだったとしても、実はマイノリティだがリテラシーが比較的低い60代女性に合わせてUIを作った方がより多くの利用者に満足される、ということもありえるだろう。しかしそういった判断は事前の調査データが存在するだけでは解決しない。もちろんこれも、突き詰めればペルソナ自体の問題ではない。
このように色々考えていくと、「正しいペルソナ」「ペルソナの正しい作り方」というのは実は存在せず、ペルソナであってもそれは常に仮説を含んでいる、という意識が必要ではないかと思う。あまりにも見当違いな思い込みを回避するため、データで裏を取ることは大事だ。しかし許される調査コストや実施スピードとの兼ね合いで、時にはヒューリスティックな作り方を併用するなど、本来の目的に対して柔軟に、ある程度割り切ることが、ペルソナ活用において重要ではないだろうか。
どんなに立派なペルソナを作っても、「やってみなければ分からない」という可能性は消えない。仮説ベースのペルソナで素早く実施し、アクセス解析などで効果検証して素早く改善する方が、時間をかけて正確性を追求した精緻なペルソナを作るよりもスピーディーに成果を得られるケースもあるだろう。こういった判断が試されるのが、ペルソナ作りの真の難しさであると感じる。