息子の初めての期末テストがあった。教科によっては学年全体の2割が10点以下という結果を見て、正直、ジェネレーションギャップを感じてしまった。なぜ学ぶ人と学ばない人に、こんなに差が生まれるのだろう。
ちょうど会社の昼礼で「自学論」というテーマの話を聞いたばかりだった。結婚や子育て、介護といったライフイベントが訪れる前に学習習慣を確立しておくことが、長期的な武器になる、という内容だ。自分自身の経験を振り返ると、まさにその通りだと思う。
では、自分はなぜ「知りたい」と思うと、勉強したくなるんだろう。
私は独学で簿記2級まで取得した。簿記を勉強しようと思ったのは、「面白そう」「自分でもできそう」という軽い動機からだった。
当時、子どもがまだ未就園で、教室に通ったり人のペースに合わせたりするのは難しそうだったので、一人で本を買って始めてみることにした。枌谷さんも、自費を出すことで学習への必死さが生まれると話していたが、自分の場合も「お金を払って買ったんだから、やってみるか」と本を開くきっかけになった気がする。隙間時間に進められるようスマホにアプリを入れ、家事育児の合間に、息抜きがてらゲーム感覚で問題を解いていた。
ただ、本当に勉強の楽しさを実感したのは、会計事務所に入ってからだったと思う。
狙って学んだわけではなく、日々の実務に浸っているうちに、後から気づいた種類の楽しさだ。自分が納めている健康保険料が、実際どのように徴収されて病院に支払われているのか実感を伴ってわかったり、普段ただ歩いていた町が事業者だらけだと気づけたり。
すでに毎日接していたのに意味づけされていなかったものへ、知識というレイヤーが後から乗っかる瞬間があった。解説付きの眼鏡をかけたように、今まで見ていた景色が違って見える。それがすごく面白かった。
簿記のときは自分から学びに行った経験、会計事務所では狙わずに後から気づいた経験。
この二つを比べて気づいたのは、自分の「知りたい」は狙って情報を取りに行くタイプではなく、頭の中にある知識の断片と日常が、ある瞬間に勝手に接続するタイプらしい、ということだ。知識が先にあって、日常がトリガーになる。
だとすれば必要なのは、狙った分野を深く掘ることだけでなく、雑多でもいいから知識の断片をとにかく増やしておくことなのかもしれない。断片が多いほど、日常での接続が起きる確率も上がる。
まとまった時間はなかなか取れなくても、家事や育児の合間の5分ならなんとか作れる。その5分でのインプットは、今すぐ役立つ知識を狙うものでなくてもいい。いつか日常のどこかで接続される種まきとして機能するはずだ。
息子やその友人たちを見ていて思うのは、点数や勉強時間そのものより、まだ「知りたい」が湧いていないだけなのかもしれない、ということだ。強制でどうにかなるものではなく、自分の場合も断片がつながって、少しずつ面白さが増していった。
子どもにも自分にも、この接続が起きやすい環境をどう作れるか、もう少し考えてみたい。