振り返りが次に効かないのはなぜか。
同じプロジェクトは二度とない。顧客も、体制も、予算も、置かれている状況も毎回違う。だから、起きる事象も毎回変わる。
それなのに振り返りは「次に同じようなプロジェクトがあれば〇〇する」という具体的な施策になりやすいと思う。もちろん「顧客側の窓口担当者に決裁権がない場合は、プロジェクト開始時に〇〇しておく」といった粒度であれば、次に持ち越せるものもある。ただ、それは条件が揃ったときだけで、少し状況が変わると使えなくなることもある。
それに、この粒度で止まったままだと「今回は状況が違った」「特別な事情があった」という説明がいつでも成立してしまう。振り返ったはずなのに次に効いていないな、変わってないなと感じるのは、こういうところに理由があるのではないかと思う。
もちろん、振り返りの場として設定される1on1MTGで「何があったのか」から話が始まること自体は自然だと思う。ただ、そこで進捗やトラブル、経緯だけを丁寧に深掘りしていくと、本人がそのとき何を見て、どう判断したのかという話からは少しずつ離れていくことがある。
経緯を詳しく聞けば聞くほど、プロジェクト固有の事情はよく分かる。しかし、固有の事情が増えるほど、次のプロジェクトで使える学びは少なくなっていくようにも思う。
だから、メンターやマネージャーの役割は、事象を整理することではなく、その話の中から本人の考え方や判断を取り出し、整理して返すことだと思っている。それは同じプロジェクトはなくても、判断の癖や思考のパターンは、形を変えながら何度も現れるからだ。その判断を本人自身が言葉にできるようになれば、プロジェクトの形が変わっても使えるようになるのではないかと思う。
そしてこれは、おそらくキャリアでも同じなのではないだろうか。判断の癖や思考のパターンは、プロジェクトという枠組みに紐づいているのではなく、判断する本人自身に紐づいているものだと思う。だとすれば、プロジェクトが変わるどころか、部署や役割、会社が変わったとしても、その人について回るはずだ。
ただし、この判断を扱う時間は、事象を扱う時間よりも繊細さがいるなとも感じている。たとえば「〇〇さんって、こういうところがありますよね」と人を主語にしてしまうと、その瞬間に評価されたと受け取られ、防衛的な反応が出てしまうことがある。
そうなると、その場は判断を振り返る時間ではなく、自分を説明したり正当化したりする時間になってしまう。主語は人ではなく、判断に置いたほうがいいのだと思う。
まとめると、振り返りの入口は事象のままでいい。何が起きたかは前提として短く整理し、そのときに何を考えて、何を調べ・聞き、何を選んで、何を選ばなかったのかを一緒に整理する。
そのうえで「この判断は、次のプロジェクトでも出てきそうか」まで確認できれば、事象ではなく判断を扱う場になるのではないかと思う。
ただし、いきなり「あなたの判断は?」と聞かれても、答えに詰まってしまう人がほとんどだろう。判断は、意識して選んだというより、無意識のうちに選んでいることもある。だからこそ、事象を短く整理したうえで、何を考え、何を選び、何を選ばなかったのかを、一緒にたどっていくプロセスそのものに意味があるのだと思う。